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ビジネススクールでは教えない実践の経営学

実践の経営学

物事をありのままに見て、当然なすべきことをなすこと

経営とは、「物事をありのままに見て、当然なすべきことをなすこと」。言葉にするのは簡単ですが、実践するのはそうたやすいことではありません。なぜこれが難しいかというと、人間はものを見るときにどうしても自分の主観が入り込んでしまうからです。

安西祐一郎は、『問題解決の心理学(中央公論新社)』で「人間はある目的のために、過去の記憶を目的に合うように思い出したり再構築したりする」と述べています。H.サイモンが指摘する「人間の能力の限界」を理解しつつ、できる限り客観的にものを認識しようと努めることが肝心です。

気をつけなくてはならないのは、不具合の程度を、とりたてて急いで改善しなくても済むように甘く判断するということです。例えば、リコールすべきところを、定期点検のときにそっと直しておけば済む程度の軽い不具合である、と認識することです。その背景には、改善したくない、欠陥を発表したくないという主観が入り込んでいます。もしそうと分かっていながら隠したり放置したりすると重大な問題に発展するリスクが高まります。事実を認識し、危険があるとわかればリコールすべきです。これが「当然なすべきことをなす」なのです。まずものごとをありのままに素直に見ることに注力しなくてはなりません。

なぜ小さな変化が大事か?

企業を取り巻く環境は日々変化しているので、すべてを正しく把握することは困難です。
じっと構えて環境の変化を見極めている暇があったら、自ら進んで変化してみましょう。そうすれば、周囲のリアクションから現在の企業環境が把握できます。つまり、マーケットの反応から企業の状況を推し量った方が、じっと考えるよりはるかに簡単なのです。

イノベーションだの、改革だの、といって大きく構える必要はありません。大切なことは、小さなことでも具体的にアクションを起こすことです。小さな変化はいずれ大きな変化につながっていきます。

決めたらすぐ動く、すぐやる

何事もすぐ実行するということは何もサトーに限ったことではありません。どの会社だって迅速な意思決定や行動を奨励されているはずです。ただ、経営のトップが常にすぐやるということを意識し、そのことにこだわりを見せているか否かは会社によってずいぶん異なるのではないでしょうか。

私がことさら嫌っていることに「区切りのいい日から始める」ということがあります。会社ではよく「年が明けたら即実施だ」とか「下期10月1日からスタートしよう」という風潮がありますが、なぜ今すぐ始めないのでしょうか。

年明けまでに1週間あるなら、すぐ行動すれば1週間早く結果が出ます。いかに長期におよぶプロジェクトであっても、一日、一日が勝負です。各自が勝手に仕事に区切りをつけてしまっては、全体として遅滞してしまうことになります。準備が必要というなら今すぐ準備を始めれば良いのです。

個の中に全体がある

サトーでは、社員ひとりひとりとのコミュニケーションを大切にしています。トップが日頃から社員と直接対話し、社内外で起きているさまざまな事柄を社員の言葉から把握しています。何気ない社員の意見や報告から、突如として珠玉の輝きをもったものに出会うことがあります。たった一人の意見だからといって侮ってはいけません。小さな気付きが大きな変化の予兆になることもあるのです。

あるとき、当社の社員から私あてに「いくつかのスーパーで消費税と本体価格の両方の表示を顧客サービスとして始めている」という報告が上がってきました。ちょうど小売業界が消費税総額表示でもめていた頃のことです。当社は、この報告をきっかけに消費税の総額表示に対応し、翌年の2004年2月から4月にかけて特需となりました。施行前年の11月時点では、総額表示は消費減退につながるため、廃案になるのではないか、という見通しが業界の動向でした。しかし、当社は小さな変化を見逃さなかったことで、大きな商機を捉えることができたのです。

企業環境を正しく把握するなら、全体を捉えようとするのではなく、個別現象、つまり目の前で起きている出来事を捉えて推し量ることが賢明です。しかも小さな現象ほど環境の変化を先取りしていることがあります。全体の中に個があるのではなく、個の中に全体があることを忘れてはいけません。

小さな変化は誰が主導するのか?

<会社の成長の構図>持続的成長のためには、リーダーシップとマネジメントの程良いバランスが大切 リーダーの果たすべき役割は、リーダーシップにほかなりません。リーダーシップを一言で言い換えると、「変化の主導」です。

リーダーとマネジャーは異なる存在です。そう考えた方が経営はずっと分かりやすくなります。リーダーは、会社に1人しかいません。社長または会長です。2人いては、指揮が混乱します。計画的・管理的な役割を果たすマネジャーに対して、常に変化をしかけてゆくのがリーダーです。この両者の程良いバランスこそが企業の持続的な成長を約束します。

変化を起こすためには、いつも行動が伴います。きっかけは、思い付き・ひらめきでよいのです。細部にわたる企画を立案したり、計画を練ったりする必要はありません。それはマネジメントの役割だからです。

拙速であっても構いません。成功も、失敗も50%の確率です。じっと座っていても環境の変化を読むことができないなら、遅れをとらないうちに「えいや」とリーダーが行動に移していくことが重要です。もしそれが誤りだと分かったら、朝令暮改すれば済むことです。思い付きといい、急な改めといい、これらはみなトップのリーダーにのみ許されることです。

戦略は行動に従う

経営学の中で私がどうしても理解できないものに「経営戦略」という言葉があります。
いろいろな事例(ケース)をロジカルに分析したあと、より普遍的な論理を構築して、各企業に活用しようというものです。

経営者も学者も「経営戦略が不可欠である」といった言葉をよく使いますが、白状すれば、私は17年間の最高経営責任者(CEO)の経験で経営戦略を必要としたことは一度もありません。

個別の商品・製品の戦略や、個別の市場戦略などはあって良いと思います。当面の勝つか負けるかの策を練っているのだから、そういう個別の戦略はむしろ必要です。しかし、長期にわたる企業全体の持続的な成長には、戦略という言葉はふさわしくありません。

企業経営は必死に目標に向かって前に進むだけです。良かれと思って意思決定し、行動するだけです。その意思決定と行動の連鎖集積を後になって振り返ると、何らかの論理パターンが見られるのであって、もしそれを経営戦略と称するなら、それは事後の経営戦略であって事前に用意された戦略ではありません。

経営者の前に道はなく、あとに道ができるものです。企業経営には戦略を語るよりも行動を起こすことが大切であって、戦略は行動のあとについてきます。「戦略は行動に従う」が私の持論です。

リーダーの判断のよりどころ

アートで飾った本社の廊下

企業経営には論理的な判断と、「ひらめき」をバランスよく持ち合わせることが必要です。

例えば論理的に非の打ち所のない企画書がトップに上がってきたとします。これに対して、何となく違和感を覚えてトップが案を拒絶したとします。なぜ却下するのか問われても理由がうまく説明できません。駄目なものは駄目だと答えるしかない。「麿はイヤじゃ」のひと言です。そうこうしているうちに非の打ちどころのなかった企画書にボロが現出して「そうら見ろ」となります。こうしたことは、実際の経営でしばしばあることです。イヤじゃの「イヤ」は不調和を意味しているからです。理屈はすべて通っていても、全体感が腑に落ちないからだだをこねているのです。

こうした「ひらめき」は、やみくもに湧いてくるわけではありません。数字では表すことができない右脳的な感覚が必要なため、日頃から芸術などの美しいものにふれて感性を磨いておく必要があります。経営者になるような人はときには美術館に出向いて審美的な目を養うのもきっと何かの役に立つはずです。書道や盆栽でもいい、能、歌舞伎、オペラ、バレエも調和を養うにはいいと思います。

「花や景色の美しさに感動する心。美しいものを求めなさい」。TDKの沢部肇会長は若いころ、3代目社長の秦野福次郎氏からこのように言われたそうです。経営学者のC・バーナードも、「経営のセンスには科学よりも芸術の問題であり、論理的というよりもむしろ美学的なものが求められる」といっています。

哲学的価値「真、善、美」の真、善は、経営では論理、倫理として「何が正しいか」の対象になります。ですが美(美学)は正否ではなく、感じる心です。「美」は経営でも「真、善」の上位概念といえます。企業の「姿」や「行為」が美学的かどうかです。経営理念があって、社会に貢献する理想像が描かれ、それを実現する事業方針とビジネスモデルが明確であり、経営資源や市場認識が妥当で、それを社員がよく理解している姿は均衡がよく、調和していて美学的です。

企業の経営判断の基準として自らの行為を「美しさ」で検証することが、世界で活躍する21世紀の経営者に求められています。

トップ実践の経営学藤田東久夫の軌跡経営を支えた言葉変化の源泉

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